128 view | 2018/06/15 00:00

都会のマタギと田舎のマタギ その10 熱中小学校シアトル校プロジェクト

都会のマタギと田舎のマタギ その10 熱中小学校シアトル校プロジェクト


米国シアトルはかつて日本人が大勢いる街であったという。

私の住んでいる横浜の港に今では引退して停泊している‘氷川丸’はかつてシアトルへの定期航路につかわれていた。船会社に就職した二男の結婚式がこの船を見渡せるホテルの会場で行われた時、最後の父親のスピーチで、定期旅客船であったこの船が戦中は病院船、戦後は引き上げに使われたことを引き合いにした記憶がある。


1930年(昭和5年)シアトルに処女航海をした。

戦前からその船は日本からのたくさんの移民も北米に運び、シアトルには最大の日系人コミュニティーがあった。ワシントン州に戦前在住していた日本人はその数2万人でマイノリティでは最も大きなコミュニティであったが、今は1.2万人、中国やインド、韓国などからの移民におされ、相対的に小さなコミュニティになってしまっている。

観光客でにぎわう水辺に広がるマーケットも、第2次世界大戦に日系人が強制疎開を強いられて彼らが姿を消すまでは、出店する2/3が日本人の経営する農園だったそうだ。


これまでマイクロソフトがシアトルに拠点を持っていても、シリコンバレーやサンフランシスコからぽつんと離れたところ、という印象であった。今ではアマゾンが本社を構えて町は一挙にIT業界のコアシティーとなった。グーグルも来る、それらの周りベンチャーも来る、といった騒ぎでIT人材の流入が進んでいる。


その変貌するシアトルにあって、それらのIT業界で勢いを増しているのは、インド人、中国人だそうだ。今回マイクロソフトからBellevue Children’s Academy(BCA)に転職した友人の保坂さんによればそれは生徒さんの構成でもわかるという。

保坂さんの紹介で2000年にBCAを設立した日本人の清水さんを訪問し、授業を見せていただいた。米国の私立学校として平日通常の授業も素晴らしいが、清水さんが自分の学校の生徒に限らず、近隣の日本人の子供たちに毎週土曜日に開いている土曜スクールを見せていただいて、その実行力に感心した。

最近は片方の親が日本人というケースが多くなっていて、日本に帰る際に困らないようにする補習校ではなく、米国人として日本語を忘れないでほしいという学校だ。

地域の日本人子弟のために毎週土曜学校に開催しており、日本語による授業を行っている。350人の幼稚園―小中学校の生徒が登録しているという。


長い間たくさんの在シアトルの日本人の家族とお付き合いをしてこられた清水さんにとって気になるのは、インドや中国にくらべて最近の日本人のコミュニティー力の衰退だ。

たくさんの小さな日本人のグループがあってもどうしてもグループを超えた交流が弱いのだそうだ。そこで、清水さんは、日本人コミュニティーの維持のために毎年7月の七夕の週末に日本の会を開き、この活動を行う過程で日本人の絆を強めていきたいと考えている。現地の企業が協賛する他、日本から高知県などは特設ブースを作って地元産の商品販売や観光のPRをしていて、2万人の参加があるそうだ。今年のJapan Fairは来月7-8日の週末2日である。


清水さんや、保坂さんの、シアトルの日本人コミュニティーの核になる活動として、熱中小学校をシアトルに開校したいという熱い気持ちに動かされて、おししいワインを飲みながら、ではシアトル中の日本関係者が集まるその会に、熱中小学校のPRに参りましょうと、例によってすぐ言ってしまい安い往復航空券を手配してしまった。

そして熱中小学校の放送室担当の中村寛治ヒューマンセントリックス社長には動画力講座

模擬授業、デザイナーの田中裕子さんにはシアトル校のLOGOをお願いしてしまった。


熱燗の勢いで山形県の高畠町で始まった‘熱中小学校’プロジェクト。いつもコーナーポイントで、素敵で面白い人たちと盛り上がってしまう。

シアトルの気候は変わりやすく、寒くて小雨の夕方だったが上空の雲と霧はやがて切れ始め、見ると地上に虹がかかっていた。


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0堀田 一芙


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