97 view | 2018/06/09 00:00

都会のマタギと田舎のマタギ その9 日本人とユダヤ人の40年

都会のマタギと田舎のマタギ その9 日本人とユダヤ人の40年


久しぶりに海外に行く飛行機で、2本の映画を見た、一つは‘ウィンストン・チャーチル/ヒットラーから世界を救った男、あと1本は、’ダンケルク‘でダンケルクからの撤退作戦を巡って、2つの映画は戦場と首相の執務室の両方からストーリーがつながって面白かった。

特にチャーチルがフランスの降伏直前にダンケルクからの30万人以上のイギリス兵の敗走、本国への撤収という人質をナチに取られながらもチェンバレンなどの和平交渉派と妥協しなかったくだりは、圧巻だった。


さて約3か月前のことだが、見知らぬ日本企業の方からアメリカ人のS氏を知っているのなら彼にメールしてくれとのメッセージをフェイスブックで受け取った。忘れもしない40年前にアメリカのビジネススクールに行っていた時のルームメイトが私を捜しているのだ。彼が日本に来ていて、昨晩日本企業とのビジネス会食の時にフェイスブックで私の名前を検索してほしいとの依頼を受けたという事だった。


2日後に私は東京都内のホテルのロビーでS氏と40年ぶりの再会をした。

私は大学卒業後外資系の企業に勤務して5年ほど経過し、私の環境ではMBA取得が必要だと思い中西部の州立大学に留学した。最初の半年は妻とその時3歳の娘は日本において単身で寮生活を始めたが、その時同室だったのがNYから来ていた彼だった。


40年ぶりの再会で最初の彼の発した言葉は‘Are You Retired?(引退してないよな!)

わたしの返事は‘Of course not ‘(もちろんしてないさ!)

彼は海外を飛び回る現役ビジネスマンだ。


S氏の両親はヨーロッパのユダヤ人としてナチに別々の国で捕えられ、イタリアの収容所で出会い解放後に結婚した。戦後、アメリカに渡るのに5年もかかったがNYで長男のS氏が生まれた訳だ。移民の2世の彼はまだ親の苦労を知っていて、なみなみならぬ努力の習慣と豊かなアメリカの若者という2面を持った優秀な学生だった。

もしもあの時首相がチャーチルでなかったら、彼は生まれていないだろうし、もし私の父が北朝鮮の戦場から首尾よく撤退できなかったら、私もいないのだ。

そして‘日本人とユダヤ人’が同室で寮生活をすることもなかった。


S氏は、ボストンの大学時代のガールフレンドの彼女と結婚し、カソリック教徒の彼女はユダヤ教に改宗した。これも彼女の周りは大変な事だったろうと思う。

S氏ご夫妻、私たち夫婦が40年後に再会できることの奇跡、そんなことを思いながら私たち夫婦はNYのダウタウンのホテルのロビーで2人が来るのを待っている。

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0堀田 一芙


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